薫風の候 [季節]
春の散歩 [雑文]
相変わらず貧乏暇なし。東京~名古屋を行ったり来たりして、花見なんかも
(行事として、、、・・*)ゞ)あったりして、いつの間にやら4月も半ば(_□_;)!!
最近は時間の経つのが早い。余計な情報をたくさん手にいれようとしている
からなのだろうか(゚ρ゚*)、、、、、、。
そいうわけで(なにが?)、忙中閑あり。
ちょっと時間ができたので散歩でもしようと思っていたら、気の置けない知人に
見頃の花の情報を聞いたので、ついでに車で連れて行ってもらった<(_ _*)>
はじめに名古屋の香流川(かなれがわ)。
名古屋では一番美しい桜が見られるところではないでしょうか。
通りすがりの自転車の女性がそう言って走り去っていったから間違いない。
花吹雪が水面に舞い散り、それは美しかった。
次に桜とユキヤナギが見ごろだという、豊田市の愛知県緑化センターという
ところにつれていってもらった。
http://www10.ocn.ne.jp/~ryokka/
小山に咲いたユキヤナギが、ふわふわして本当に雪のようだった。
こういう時間が大事だね。
Tさん、ありがとうございましたヽ(^◇^*)/
そして私は、また仕事場へと送り届けられたのでありました`s(・'・;)
たまには目にもごちそうを食べさせなきゃいけませんね。
皆様、よい春をお迎え下さい('-'*)♪
3月20日 [雑文]
ドラゴン・タトゥーの女 [映画]
フランソワ・トリュフォー生誕80年 [雑文]
Googleのロゴが変わっていたのでクリックすると、今日はトリュフォーの生まれた日らしい。

フランソワ・トリュフォーは1932年生まれ。
1950年代に発生したヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画監督のひとりとして、
カンヌ国際映画祭監督賞受賞作「大人は判ってくれない」など数々の作品を製作している。
1984年に死去。生きていれば80歳か、、、、、、。
私にとってのトリュフォーはなんといっても「アメリカの夜」
高校二年生の時に、長崎の映画館(たしか「新世界」)で見た。
あまりに良くて二回見に行った。
映画作りを裏側から描いていて、それが興味深かったのかもしれない。
だからいまだに裏方をやっているのか。
それはさておき、その頃の私はラグビーと映画と読書に明け暮れ、東京に憧れていた
1974年の地方の一高校生でありました。
そして、ジャクリーン・ビセットの知的で美しいエメラルド・グリーンの瞳に参っていた。



2月になりました。 [雑文]
本日名古屋は特に寒く、夜には雪が降るかもと天気予報。
北国は豪雪のニュース、テレビから流れています。
3日は節分、4日は立春です。
二十四節気では「立春」の次は、雪が雨に変わる「雨水」そして冬眠していた虫が地上に
出てくる「啓蟄」と続きます。




写真は一昨年、名古屋市天白区平針にある農業センターに行った時のものです。
「梅一輪 いちりんほどの あたたかさ」 服部嵐雪。
寒さもあと少し、梅も南のほうから徐々に咲き始めることでしょう。
節分近し [雑文]
寒中お見舞い申し上げます。 [雑文]
2012年が始まりました。
新年のご挨拶が遅くなりましたが、皆々様におかれましては
よき新年をお迎えになられましたでしょうか。
時(間)というものは、まことに無常(無情?)で、人の気持ちなど
待ってはくれず、同じように過ぎていくとはいえ、年々早く感じる
ようになりました。
だからこそ、一日一日がかけがえのないものに思えてくるのでしょう。
昨年は、日本にとって想像を絶する災厄が起こった年でした。
一年前、ほとんどの家庭ではいつもと変わりなく、健やかにお正月を
迎えられていたことでしょう。
あらためて、犠牲者のご冥福と一日も早い復興をお祈りします。
景気のいいことを言いたいところですが、そうもいきませんね。
でも前に進むしかありません。ともに歩んでいきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。
2012年1月
激動2011年 [雑文]
今年は3月11日東日本大震災の前の記憶がほとんどない。
そう思って手帳を見直してみた。
こんなことも今年だったんだ、と思うようなことがたくさんあった。
facebookやtwitterを始めた。
手提げかばんを無くしたが、見つけた人がいて三日後に届けてもらった。
父の選挙があった。長崎に五回行った。五島にも行って念願の久賀島の教会を
巡った。
なでしこジャパンが世界一、ソフトバンクが日本一になった。
長崎「祈り」コンサートを開催した。
35年間住んだ東京を離れ、名古屋に引っ越した。断捨離を敢行した。
東京に18回行った。
仕事では大きな動きがいくつもあった。
たくさんの別れがあった。たくさんの出会いがあった。
長年通った「らいら」が閉店する。
3月11日は長崎にいた。
あれから9か月が過ぎ、また寒い冬がやってきた。
「祈り」をどうつなげていくか、来年は真価を自分に問うてみる。










祈平和。
「らいら」31年10カ月の歴史に幕 [酒場]
新宿二丁目に「らいら」というバーがある。
「らいら」とはアラビア語で「一夜」の意味である。
嬉しいとき、つらい時、さびしいとき、、、、、、様々なシーンで25年以上通ってきた店だ。
20代半ばから通い始めたその店に一人で入るのは、はじめは勇気がいった。
新聞記者、テレビ局、広告代理店、カメラマン、デザイナー、画家、評論家、俳優、演出家
映画監督、美容師、建築士、僧侶、サラリーマン、、、、怖そうな年上のお客さんたちから
店に入るときにじろりと睨まれているような気がして、子供だった私はたじろいでいたのだ。
それでも、毎夜毎夜、私はこの酒場に通い続けた。
そして、あとでわかるのだがみんな肩書なんかどうでもよい人たちばかりだった。
始めて声を掛けてくれたのはS兄だった。朝までよく飲んだ。
他の方とも様々なご縁で、芝居やいろんなイベントをやるきっかけや、かけがえのない、先輩、友人、
仲間を得ることができた。
しかしS兄ももはやこの世にはいない。一緒に山登りに行ったS-Aさんも鬼籍に入られた。長い間
闘病されていたKさんも今年亡くなられた。皆さんそれぞれ自分のスタイルで生きておられた。
それを模範にし、参考にし、少しでも近付こうとあがいていた。
「らいら」は世界であり、そこで過ごした幾千の夜、数々の出会いは、私の血となり肉となり、
大人への階段を登らせてくれた教室であり、修練を積ませてくれた劇場でありました。
そして「自由な魂」とは何かを教えてくれた場所であります。
一人で、二人で、仲間たちと酌み交わした酒は、いずれも心にしみわたる、大都会の中の
オアシスの水のようでした。暗闇の中、手探りで歩く私の足元を照らす、ランプの光でした。
昨年3月6日に新宿浪曼坊で30周年記念パーティーを開いたばかりでしたが、諸般の事情により
この12月28日で閉店することになりました。
たくさんの思い出は語りつくせませんが、新たな旅立ちにエールを送りたいと思います。
「らいら」さんありがとうございました。
本当に感謝しています。
心の中の「らいら」は永遠です。
お疲れ様でした。






