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節分近し [雑文]

 
なんだかばたばたぼおーっとしてるうちに一月も終わろうとしています。
 
 

人生は悲劇的で厳かなもの
 
私たちはこの素晴らしい世界に招かれ
 
出会い自己紹介をし少しの間
 
一緒に歩きそして見失い
 
どうやってここに来たか
 
その訳もわからないまま
 
突然いなくなる
 
 
作者不明 
 
 
昨年教えていただいた印象に残る文章です。
 
春に向けて一歩一歩です、かね。
 
皆様お風邪など召しませぬよう。
 

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寒中お見舞い申し上げます。 [雑文]

2012年が始まりました。

新年のご挨拶が遅くなりましたが、皆々様におかれましては

よき新年をお迎えになられましたでしょうか。

時(間)というものは、まことに無常(無情?)で、人の気持ちなど

待ってはくれず、同じように過ぎていくとはいえ、年々早く感じる

ようになりました。

だからこそ、一日一日がかけがえのないものに思えてくるのでしょう。

昨年は、日本にとって想像を絶する災厄が起こった年でした。

一年前、ほとんどの家庭ではいつもと変わりなく、健やかにお正月を

迎えられていたことでしょう。

あらためて、犠牲者のご冥福と一日も早い復興をお祈りします。

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景気のいいことを言いたいところですが、そうもいきませんね。

でも前に進むしかありません。ともに歩んでいきましょう。

今年もよろしくお願いいたします。

2012年1月


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激動2011年 [雑文]

今年は3月11日東日本大震災の前の記憶がほとんどない。

そう思って手帳を見直してみた。

こんなことも今年だったんだ、と思うようなことがたくさんあった。

facebookやtwitterを始めた。

手提げかばんを無くしたが、見つけた人がいて三日後に届けてもらった。

父の選挙があった。長崎に五回行った。五島にも行って念願の久賀島の教会を

巡った。

なでしこジャパンが世界一、ソフトバンクが日本一になった。

長崎「祈り」コンサートを開催した。

35年間住んだ東京を離れ、名古屋に引っ越した。断捨離を敢行した。

東京に18回行った。

仕事では大きな動きがいくつもあった。

たくさんの別れがあった。たくさんの出会いがあった。

長年通った「らいら」が閉店する。

3月11日は長崎にいた。

あれから9か月が過ぎ、また寒い冬がやってきた。

「祈り」をどうつなげていくか、来年は真価を自分に問うてみる。

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祈平和。


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「らいら」31年10カ月の歴史に幕  [酒場]

 

新宿二丁目に「らいら」というバーがある。

「らいら」とはアラビア語で「一夜」の意味である。

嬉しいとき、つらい時、さびしいとき、、、、、、様々なシーンで25年以上通ってきた店だ。

20代半ばから通い始めたその店に一人で入るのは、はじめは勇気がいった。

新聞記者、テレビ局、広告代理店、カメラマン、デザイナー、画家、評論家、俳優、演出家

映画監督、美容師、建築士、僧侶、サラリーマン、、、、怖そうな年上のお客さんたちから

店に入るときにじろりと睨まれているような気がして、子供だった私はたじろいでいたのだ。

それでも、毎夜毎夜、私はこの酒場に通い続けた。

そして、あとでわかるのだがみんな肩書なんかどうでもよい人たちばかりだった。

始めて声を掛けてくれたのはS兄だった。朝までよく飲んだ。

他の方とも様々なご縁で、芝居やいろんなイベントをやるきっかけや、かけがえのない、先輩、友人、

仲間を得ることができた。

しかしS兄ももはやこの世にはいない。一緒に山登りに行ったS-Aさんも鬼籍に入られた。長い間

闘病されていたKさんも今年亡くなられた。皆さんそれぞれ自分のスタイルで生きておられた

それを模範にし、参考にし、少しでも近付こうとあがいていた。

「らいら」は世界であり、そこで過ごした幾千の夜、数々の出会いは、私の血となり肉となり、

大人への階段を登らせてくれた教室であり、修練を積ませてくれた劇場でありました。

そして「自由な魂」とは何かを教えてくれた場所であります。

一人で、二人で、仲間たちと酌み交わした酒は、いずれも心にしみわたる、大都会の中の

オアシスの水のようでした。暗闇の中、手探りで歩く私の足元を照らす、ランプの光でした。

昨年3月6日に新宿浪曼坊で30周年記念パーティーを開いたばかりでしたが、諸般の事情により

この12月28日で閉店することになりました。

たくさんの思い出は語りつくせませんが、新たな旅立ちにエールを送りたいと思います。

「らいら」さんありがとうございました。

本当に感謝しています。

心の中の「らいら」は永遠です。

お疲れ様でした。

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感謝の祈り [芝居・ステージ]

 

長崎「祈り」コンサートが終わって1週間が経ちました。

このコンサートでは構成・演出という立場で関わってきましたが、様々な

出会いの中から生まれたコンサートでした。

第2の故郷といえる新宿の仲間たち、地元の協力者や同窓生、恩師たち、そして

肉親。様々な支えがあってコンサートは開かれました。

そしてヴァイオリンの河村さん、コントラバスの白土さん、ピアノの上尾さんの見事な

アンサンブルと魂を込めた素晴らしい演奏。

「祈り」の心を持つ素敵なお客様が一体となっていいコンサートになりました。

 

「河村典子のバッハを聞く会」のOさんからコンサートに寄せて文章をいただきましたので

ここに転載させていただきます。

 

【長崎「祈り」コンサートに寄せて~ 】

 

河村典子さんが、「一人のヴァイオリン奏者として原点に立ち返ってみたい。

バッハの音楽があり演奏する私がいる。そこに、思い思いに耳をかたむける聴衆

の方々が居る親密な空間があったらこんなに幸せなことはありません」との思い

から、「ヴァイオリンひとり 無伴奏ヴァイオリン連続演奏」をはじめたのは

20059月、札幌からでした。

コンサート・ホールのみならず、カフェ、レストラン、バー、教会、お寺、学校、

さまざまなところでバッハを弾いて、さまざまな人が河村典子さんが弾く

バッハに出会い、その音楽を聴いた人が、ここでも弾いてあそこでも弾いてくだ

さいと、演奏の場と出会いは、さらにひろがっていきました。

バッハの音楽には、ことにヴァイオリンのソナタとパルティータには、敬虔な

と形容する以外ないような信仰心、そして祈りがあります。

河村典子さんの、ヴァイオリンひとりのバッハを聴いたなかに、ここ、長崎市

出身の演出家がいました。

長崎は、まず日本におけるキリスト信者の最初の受難の地であり、66年前にお

ける人類最初の受難の地であり、祈りのおもいがもっとも深い土地です。

その長崎の地で、河村典子さんがバッハを弾き、多くの人に聴いていただきた

いとかんがえるのは自然のなりゆきでした。

今回の「長崎 祈り コンサート」が実現するには、いくつもの出会いがあり

ます。

まず河村典子さんとバッハの出会い。そして、長崎出身の演出家井原さんと、

かれを、河村典子さんのバッハを聴きに行こうと誘ったバーの久保田さん。演出

家のおもいと趣旨をくんでくださった野下神父。コンサート企画を実行に移し、

多くの人びとをここ、中町教会に集めるためにあちこち駆け回ってくれた井原さ

んをはじめとする長崎の人びと。きょうのバッハを聴きにきてくれた長崎の人び

と、バッハを聴きに長崎にきてくれた東京の人びと。

そして、これらの人びとの出会いの、いわばもととなった、長崎の地。

ヴァイオリンはどこででも弾くことができます。バッハもどこででも聴くこと

ができます。コンサートもどこででも開くことができます。

しかし、「長崎 祈り コンサート」は、きょう、20111119日、ここ、長崎は

中町教会の聖堂におけるバッハだけです。

みなさま、ごゆっくりお聴きください。

 

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中町教会は原爆で外壁だけを残し破壊されました。

それから66年を経た今その場所で演奏をすることの意味を考え、そして3月11日の

東日本大震災の被災者の方々、世界中でまだ終わらぬ争いや災害に苦しむ方々

に思いを寄せ、平和を祈りました。

長崎の高校生平和大使の皆さんはこう言って活動されています。

「微力ではあるが無力ではない」  

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今年もあと1か月近くとなりました。

応援していただいた方々、関わっていただいたすべての方々、お客様に感謝するとともに、

改めて平和への祈りを捧げます。

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(版画:小﨑侃)

 

 

 

 

 

 

 


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断捨離と祈り [雑文]

3.11震災以後ツイッターやフェースブックのスピードに慣れたせいか

最近ブログ更新が超スローペースになっています。

いつも読んでいただいていてありがとうございます。

更新がないのでご心配をおかけしているかもしれませんが、元気で過ごしています。

2年ほど前更新していない時に、もしや病気では、、、と思われたこともありましたので

少し書かせていただきます。

名古屋での仕事と、11月19日「長崎祈りコンサート」の準備などもですが、いきなり

名古屋転勤が決まり(今までは出向的な感じ)引っ越しだ、片付けだと続いていたのです。

さらに小さいながら二つのプロジェクトやスタッフの引継、アクシデントなどなど、、、、、、

いつもながら頼んでもいないのに大盛り大サービス。

さて、引っ越しです。東京には2部屋借りていて、そこの一つをアトリエにしていました。

名古屋は社宅に入っていましたが、そこも契約が切れるということで、新しいところを探し

決めて、名古屋の荷物をそこに移し、東京に行って東京の部屋から隣のアトリエに荷物を

移すのに延べ4日かかり、、、、、、(その間二回も東京~名古屋往復)、愛は地球を救う、

引っ越しは人のエネルギーを奪う!あわわ、、、、、、。

「断捨離(だんしゃり)」なる言葉もはやっていますが、長崎から上京してあっという間に35年。

東中野(落合)~沼袋(中野)~吉祥寺~富久町(新宿)~初台~荻窪~東池袋

~江戸川(瑞江)と転々とし、師匠たちの荷物も没後引き取ったりして、これまで来て

いたので物がありすぎました。物もちもよかったので20年以上前のGパンやTシャツなども

たくさん残っていました。

この際一気に!といってもごみ袋に詰めるだけでまだ精一杯でしたが、ばんばん捨てました。

出てくる出てくる、探していた物も出てくる、忘れていたものも出てくる、なんだかわからないものも

出てくる。無くした眼鏡は出てこない。

特に怖かったのが、ビデオ(ベータとVHS)と本ですね。ありとあらゆるところからゾンビのように

出てきました。ビデオテープはほとんど全部捨てました。ベータやVHSデッキや地デジでない

ハードディスク、昔のノートパソコン、テレビ、、、、、、など時間が経って役目を終えたものも

たくさんありました。買ったばかりであまり使っていなかった冷蔵庫は三分の一以下の値段で

後輩に譲りました。(氷ができるのが魅力だったのに。今のは小さいけどもうそれでいいや)

LPレコードや(聞くならプレーヤーがいる)、8ミリの映写機、編集機、、、、、、自主映画なんか

撮ろうとしてたのですね。いずれ何かの資料にと取っておいた雑誌やスクラップ、様々な図録。

宝物のようにずっと持っていた物たちにもいずれ別れを告げなければなりません。

ずっと持ち続けていた思いの一部にさようならを言うことができました。

棺桶までもっていきそうなものは残っていますがね。

いずれ名古屋にいくつか送ろうというものはまだあるのですが、はじめに持ってきたのは

母の位牌だけでした。

そして何も残っていない部屋をお返ししてきました。

気付くともう11月の声を聞き、ソフトバンクが日本シリーズ出場を決めました。

そしていよいよ11月19日(土)祈りコンサートの開催が迫ってきました。

フェースブックに書いたのですが、このコンサートのことをもう一度書きます。

「祈り」とテーマを決めるまで昨年末からずっと考えていました。 

「祈り」ってよく聞く言葉だけど、そもそも「祈り」とはなんだろう。少し消極的な印象もあるけれど、

まずそれぞれの思いを自分で具体化し、少し立ち止まって考える行為ではないか。

せわしなくぎていく日常の中で、それを自分は考えて生きているのか。

キリスト教に限らず人は「祈」ることしかできない時もあり、どんな目にあっても「祈」ることがあるのは

なぜだろう。そして「祈」ることで救われたのだろうか。

そして、長崎というところはキリシタン弾圧や戦争、原爆、水害、噴火など様々な苦難から

立ち上がってきたが、その時に人々は何に「祈り」何を「祈」ったのだろうか。

そういう事を考えた末に、しかしそれでもテーマは「祈り」しかないと決めました...

「祈り」というものが何かをコンサートに来ていただく皆さんと一緒に感じたい、考えたい、と。

テーマを決めた直後、東日本を大震災が襲いました。そして原発が爆発し、放射能がまき散らされ、

人々は故郷を追われました。

圧倒的な現実の前に、それまで考えていたことが観念でしかないことを思い知らされました。

しかし今あらためて思います。小さな小さな「祈り」も続けていかねばならないと。

先人たちの様々な苦闘、そして世界中の人々の苦悩を、いつまでも忘れてはならないと。

沈黙してただ寄り添うことも「祈り」の一つの形かもしれません。

そしてまた思います。平和というものがかけがえのないということを。

そしてそれを守るために行動しなければならないということを

人間は自然をコントロールするのではなく、人間は自然の一部なのだと。

かの宮沢賢治は「この世に一人でも不幸な人がいる限り、私の幸せはない」とおっしゃっています。

長崎の中町教会に高らかに響くヴァイオリンの音色を一人でも多くの方に聞いていただきたいと

思います。長崎から「祈り」を多くの方々に捧げます。

チケットがまだまだたくさんあります。一人でも二人でも御親戚、ご兄弟、ご友人にお声掛けください。

よろしくお願いします。

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五色園と浅野祥雲 [散歩]

名古屋市の東、日進市岩藤に日本唯一の宗教公園「五色園」がある。

以前朝日新聞でここの塑像が紹介されていたので思い立って行ってみた。 

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一見何の変哲もない普通の公園のような入口。終わりかけの彼岸花が咲いていた。

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しばらく行くと「あれは何だ?」と言うような物体が見えてくる。

近くに行ってみると、、、、、、。

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どーん!

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こ、これは何だ、、、、、、。

ここからは、このようなコンクリート等身大像のオンパレード。

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これは一体、、、、、、。

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この五色園には、コンクリート像作家「浅野祥雲」作の塑像が20万㎡の広大な園のなかに

あちらこちら建てられているのだ。

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浅野祥雲(1891年~1978年)は現在の岐阜県中津川市生まれ。土人形を作っていた父の

影響で彼も人形作りをはじめたが、土では大きな作品が作れないところからコンクリート塑像

の制作を思いついた。33才で名古屋に移り、食えないので映画館の看板書きをやって生計を

立てていたそうだ。

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浄土真宗のお寺なので、親鸞の生涯のエピソードをドラマチックに表現してある。

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異様な迫力があるが、なにかユーモラスでほほえましい。

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歌舞伎のワンシーンのようだ。

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明治大帝の像なんかもある。(これは祥雲作ではない)

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犬山には「桃太郎神社」というのがありここにも彼の作品があります。

http://kaz-i.blog.so-net.ne.jp/2010-11-27

なにか不思議な空間でした。不思議な情熱を感じました。

一度ウォーキングも兼ねて行くと面白いです。

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秋も深まってきましたね。

 


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長崎「祈り」コンサート in 中町教会聖堂 [芝居・ステージ]

昨年十一月より準備をしていたコンサートの開催が近づいてきました。

新宿ゴールデン街のBar 「十月」で生まれた不思議な出会いが繋がって、長崎で

こういう会を開催できることになりました。

すべての人に感謝。

ぜひいらしてください。

長崎の地より、全世界に向けて「平和」への祈りを捧げます。

11月19日(土) 16時開場 16時半開演。

出演:河村典子(ヴァイオリン) 白土文雄(コントラバス) 上尾直子(ピアノ)

司会・朗読:平野妙子 構成・演出:井原和洋

共催:アジェンダNOVAながさき・河村典子のバッハを聴く会

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長崎2011年夏 その3 ~平和への祈り  [長崎]

キリシタンの厳しい弾圧も受けた長崎をさらに悲惨な出来事が襲う。

人類史上二番目となる原爆が投下されたのだ。

クリスチャンたちは西洋の神を信じて、何百年も地下に潜り、ようやく自由な信仰が

認められたと思ったら、彼らと同じ神を信じる国から、しかも浦上天主堂の真上に、

何万人もの人々を一瞬にして殺してしまう恐ろしい爆弾を落とされたのである。

クリスチャンたちは空を見上げてうめきながら叫んだそうである。

「神も仏もなか!」、、、と。

あれから66年目の夏がまたやってきた。

長崎の有志は「長崎の鐘を鳴奏(ならそう)会」と名付けた運動を2008年から続けている。

平和公園の中にある「平和の鐘」を、原爆が落とされた日時にちなみ、毎月9日11時2分から

10分間鳴らし続けているのだ。

長崎では宗教の垣根を越えて「長崎県宗教者懇話会」というものが組織され、カトリック、神道、

仏教、さまざまな宗派の方々が集まり、知恵を出し合って平和のために活動されている。

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その方々の賛同も得て、毎年8月9日11時2分、原爆の落とされた日時に、長崎中の

教会やお寺の鐘を鳴らそうという運動も進めておられる。

この日8月6日は広島原爆忌だったので、11時2分~12分、22分~32分の10分の計2回

観光で来られた人たちの手も借りて、鐘が鳴らされた。(8月8日までの3日間)

参加者にはかわいい小さな鐘のついた携帯ストラップ(赤、青二色)がプレゼントされる。

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8月6日は暑かった。広島原爆投下の8時15分に自宅で黙祷をして、10時過ぎに会場の

平和公園に向かった。

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9日の平和式典に向けて、平和公園では準備の真っ最中だった。

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左端は永井隆博士のお孫さんの永井徳三郎さん。

永井隆博士の奥さま緑さんの曾祖父吉蔵さんもまた浦上三番崩れで獄死したクリスチャンだった。

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この日は合計200人以上の方が参加された。

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公園の裏手にある平和会館の片隅にはアンネのバラが花を咲かせていた。

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時期を同じくして、長崎市原爆資料館の近くでは「キッズゲルニカ」の展示も行われていた。

キッズ・ゲルニカはピカソのゲルニカと同じ大きさ(3.5m×7.8m)に世界中の子供たちが

平和の絵を描くというアート・プロジェクトです。

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ボスニア・ヘルツェゴビナの子供たちの絵。

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城山小学校区の子供たちの絵。

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山里小学校区の子供たちの絵。

爆心地から500メートルの城山小学校の学童は約1,500人中約1,400人が即死。

600メートルの山里小学校の子供たちは1,581名中、約1,300人が亡くなった。

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グラウンドゼロ。

昭和20年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機B29(ボックスカー)から投下されたプルトニウム型

原子爆弾(ファットマン)は、ここの上空500メートルで炸裂し、150,000人を死傷させた。

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今年の平和祈念式典には、初めてアメリカ政府代表としてズムワルト主席公使が出席した。

そして、あいついで原発や核に関する映画が公開される。

http://eiganavi.entermeitele.net/news/2011/08/91zero-53e5.html

http://iwakamiyasumi.com/archives/12094

チェルノブイリや福島の原発事故は人ごとではない。人類共通の課題として、なんとしても

核を、原発を廃絶しなければならない。

道のりははるかに遠い。

何百年もかけてクリスチャンたちが信仰の自由を勝ち取ったように、その日は来るのだろうか。

しかし続けていかねばならない。未来を背負う子供たちのためにも。

 

、、、、、、、、、、。

 

2011年の長崎の夏の旅はこうして終わりました。 

秋には「長崎の鐘を鳴奏会」をはじめ、数々の企画で長崎から平和を発信し続けている

「アジェンダNOVAながさき」の全面的ご協力を得て、コンサートをやります。

新宿ゴールデン街から始まった企画が、どんどん広がってきています。

皆様ぜひいらしてください。

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長崎2011年夏 その2 ~五島列島② [長崎]

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五島(列島)は大小約140もの島々からなり、約43,000人の人々が住んでいる。

(無人島もある)その各地に約50もの教会がある。

今回は久賀島と福江島しか行けなかったが、いずれ他の教会も訪ねてみたい。

五島の教会の歴史はまだ不勉強だが、大村藩であった外海(そとめ)のクリスチャンが

東洲斎写楽たちが活躍していた寛政時代(18世紀の初めころ)に五島に移住してきたこと

が五島の教会建築のそもそもの始まりのようだ。

もともと五島にも信者がいたのだが、秀吉の禁教令によって壊滅状態となってから

約200年後の話である。

あまりいい加減なことは言えないのでこのくらいにしておきますが、五島の教会の歴史を

調べだすと日本のキリスト教史までさかのぼらなければならない、さらにはなぜバチカンは

日本にキリスト教の布教を始めたのかという所までさらに遡らなければならないので、いずれまた、

と思っていましたが、関連する事例だけ羅列すると、、、(結局少し調べてみた。ネットですがすみません;)

 

時はルターの宗教改革にさかのぼる。16世紀に権威を失墜させたカトリックはアジアの布教

を通じて権威を取り戻そうとしていた。このような事情が日本に宣教師がやってくるようになった

下地ともいえる。

フランシスコ・ザビエルが種子島にやってきたのが1549年。時の権力者は織田信長。

彼はクリスチャンを庇護していたが、そののち権力を握った秀吉は表向き禁教令を発した。

しかし九州にはキリシタン大名も多く、反乱を恐れ南蛮貿易のこともあり半ば黙認。

しかしサン・フェリペ号事件をきっかけに秀吉はキリスト教への態度を硬化させ、京都で活動

していたフランシスコ会系の宣教師たちをとらえるように命じ、長崎で処刑した。

これが日本二十六聖人の殉教である。(1597年)

そして徳川の時代になり、はじめは無関心であった家康も、キリシタンがらみのある事件を

重く見てキリスト教を禁教とし、全国で迫害が行われるようになった。

これが17世紀の初めである。以後約250年間、日本のキリスト教徒は迫害される。

そして1637年の島原の乱に衝撃を受けた幕府は、1639年鎖国の令を発したのである。

これ以後キリシタンたちは地下に潜り、自由に信仰のできる日をひたすら待ち続けるのであった。

外海から五島にわたってきた信者たちも同じ思いであったろう。

ここから大浦天主堂が建ったときに信者たちがプチジャン神父を訪ねてきた1865年の「信徒発見」

明治になっても続いた弾圧「浦上四番崩れ」「五島崩れ」(久賀島の牢屋の窄の弾圧など)へと

つながっていく。

岩倉使節団が欧州視察を行った際に近代国家としてなんと野蛮な、と各国から非難を

浴びたため、ようやく明治政府はキリスト教禁止令をといたのであった。

1873年のことだった。

外圧に弱いのはずーっと昔からだったのですね。弾圧されるほうの人たちのことは誰も

考えられません。お上が決めたことなのですから逆らえないのです。

外海には「沈黙」を書いた遠藤周作の記念館があり、そこの文学碑には

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」と記されています。

さて、五島の二日目は、朝からレンタカーを借りて福江島を巡りました。

まずは奥浦にある堂崎天主堂。

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そして楠原天主堂。

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水の浦教会。

五輪教会とともに今回一番ひかれた教会でした。

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そして夕陽で有名な三井楽にある三井楽教会。

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三井楽の近く、柏崎に空海の碑があるというので足をのばしました。

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柏崎灯台。

遣唐使最後の寄港地、三井楽で「辞本涯」=「日本の最果ての地を去る」という覚悟

を第16次遣唐使の一員であった空海は語り、東シナ海を渡って大陸を目指したのである。

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姫島。

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ここは日本の西の果てなのだ。

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さらに貝津教会を巡って、高浜を目指した。

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魚を扱う美女に由来する魚藍観音が海の安全を見守っている。

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32年ぶりにやってきた高浜海水浴場は、ほとんど変わっておらず美しい砂浜だった。

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五島うどんとおにぎりは海水浴の定番だ。

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駆け足で回りましたが、五島はいずれまたゆっくり来てみたいです。

八十八か所もあるようですし。

もちろん教会にもそれぞれの歴史があり、自然が豊かで、人も穏やか、魚もうまい。

是非一度行ってみてください。

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そしてまた長崎に戻りました。


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