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長崎26聖人殉教地 [長崎]


「リンデンさんの長崎ケルン」というブログで紹介されていましたが、
 
今年の6月は、長崎・西坂の地で秀吉の命により処刑された26人の殉教者が
 
聖人になって(列聖)150年、そしてまたこの地に26聖人記念館が建てられて50年という
 
節目の時でした。 
 
聖人とは(Wikipediaからの抜粋によれば)教会によって公式に認定(列聖)されなければ聖人と
 
認められない。一般に、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、
 
早くても死後数十年、場合によっては死後数百年にも及ぶ厳しい審査を経てようやく
 
認められる(例:ジャンヌ・ダルクが聖人として認められたのは本人の死から489年後であった)。
 
(引用終わり)
 
26聖人の場合は1597年の処刑から1862年の列聖まで、実に265年も経っている。
 
この地に記念館が建つ前は、ジャングルジムやブランコやシーソー(もあったと思う)などがある
 
西坂公園であった。
 
公園からは長崎港が一望でき、正面をずっと見ていくと大浦天主堂の正面が見える。
 
それもそのはず大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖人殉教堂」と言って26聖人に
 
ささげられた教会で、殉教地である西坂に向けて建てられているからだ。
 
私の母の実家がこのすぐ下のほうにあったので、赤ん坊のころからよくこの地に連れられて
 
行った。
 
記念館が建つ頃には、遠くから工事現場をのぞきに行ったり、植えられたばかりの芝生に入ると
 
「死刑」になると、近所の兄ちゃんたちに脅かされたりしていた。
 
完成した後もよく遊びに行った。 
 
(写真は1962年6月10日の記念館献堂式の写真) 
 
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記念館や右にあるガウディを意識した教会(聖フィリッポ教会)は早稲田演劇博物館など数々の
 
建築で名高い今井謙次。
 
26聖人のレリーフは舟越保武。記念館の中のフレスコ画は長谷川路可(長谷川画伯のことは
 
つい最近教えていただいた;汗;)
 
4月15日には河村典子さんがこの教会でバッハを演奏された。 
 
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そんなすごい人たちの作品とは知るはずも興味もない幼き私たちは、レリーフの左にある
 
大きな岩を船に見立てて、大海原に乗り出していくような、海賊ごっこを暗くなるまで飽きずに
 
やっていた。
 
夏休みにはラジオ体操もやっていた。近くの町に越していたのだが、祖父母の家に泊まりに
 
来ていて、参加したあかしのはんこをもらうために(ハンコを全部押してもらうと商品:ノートと鉛筆!が
 
もらえた)体操の終わりに列に並んだら、「ハンコの違う!」と白い目で見られ、恥ずかしかった思い出
 
もある。
 
高倉健が来て撮影をした時も、ここにいた。映画のロケ隊について行ったらスタッフに怒られた
 
記憶もある。 
 
この西坂の丘は400年以上前の殉教も、67年前の原爆も見てきた。
 
街には高いビルが立ち並び、大浦天主堂も建物の隙間からしか見えなくなった。
 
感謝や、鎮魂、、、、、、様々な祈りのある生活を忘れないようにしたいものです。 
 
さて、こんどはいつ故郷に帰ろうか。 
 

 
 
 
 

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長崎2011年夏 その3 ~平和への祈り  [長崎]

キリシタンの厳しい弾圧も受けた長崎をさらに悲惨な出来事が襲う。

人類史上二番目となる原爆が投下されたのだ。

クリスチャンたちは西洋の神を信じて、何百年も地下に潜り、ようやく自由な信仰が

認められたと思ったら、彼らと同じ神を信じる国から、しかも浦上天主堂の真上に、

何万人もの人々を一瞬にして殺してしまう恐ろしい爆弾を落とされたのである。

クリスチャンたちは空を見上げてうめきながら叫んだそうである。

「神も仏もなか!」、、、と。

あれから66年目の夏がまたやってきた。

長崎の有志は「長崎の鐘を鳴奏(ならそう)会」と名付けた運動を2008年から続けている。

平和公園の中にある「平和の鐘」を、原爆が落とされた日時にちなみ、毎月9日11時2分から

10分間鳴らし続けているのだ。

長崎では宗教の垣根を越えて「長崎県宗教者懇話会」というものが組織され、カトリック、神道、

仏教、さまざまな宗派の方々が集まり、知恵を出し合って平和のために活動されている。

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その方々の賛同も得て、毎年8月9日11時2分、原爆の落とされた日時に、長崎中の

教会やお寺の鐘を鳴らそうという運動も進めておられる。

この日8月6日は広島原爆忌だったので、11時2分~12分、22分~32分の10分の計2回

観光で来られた人たちの手も借りて、鐘が鳴らされた。(8月8日までの3日間)

参加者にはかわいい小さな鐘のついた携帯ストラップ(赤、青二色)がプレゼントされる。

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8月6日は暑かった。広島原爆投下の8時15分に自宅で黙祷をして、10時過ぎに会場の

平和公園に向かった。

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9日の平和式典に向けて、平和公園では準備の真っ最中だった。

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左端は永井隆博士のお孫さんの永井徳三郎さん。

永井隆博士の奥さま緑さんの曾祖父吉蔵さんもまた浦上三番崩れで獄死したクリスチャンだった。

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この日は合計200人以上の方が参加された。

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公園の裏手にある平和会館の片隅にはアンネのバラが花を咲かせていた。

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時期を同じくして、長崎市原爆資料館の近くでは「キッズゲルニカ」の展示も行われていた。

キッズ・ゲルニカはピカソのゲルニカと同じ大きさ(3.5m×7.8m)に世界中の子供たちが

平和の絵を描くというアート・プロジェクトです。

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ボスニア・ヘルツェゴビナの子供たちの絵。

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城山小学校区の子供たちの絵。

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山里小学校区の子供たちの絵。

爆心地から500メートルの城山小学校の学童は約1,500人中約1,400人が即死。

600メートルの山里小学校の子供たちは1,581名中、約1,300人が亡くなった。

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グラウンドゼロ。

昭和20年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機B29(ボックスカー)から投下されたプルトニウム型

原子爆弾(ファットマン)は、ここの上空500メートルで炸裂し、150,000人を死傷させた。

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今年の平和祈念式典には、初めてアメリカ政府代表としてズムワルト主席公使が出席した。

そして、あいついで原発や核に関する映画が公開される。

http://eiganavi.entermeitele.net/news/2011/08/91zero-53e5.html

http://iwakamiyasumi.com/archives/12094

チェルノブイリや福島の原発事故は人ごとではない。人類共通の課題として、なんとしても

核を、原発を廃絶しなければならない。

道のりははるかに遠い。

何百年もかけてクリスチャンたちが信仰の自由を勝ち取ったように、その日は来るのだろうか。

しかし続けていかねばならない。未来を背負う子供たちのためにも。

 

、、、、、、、、、、。

 

2011年の長崎の夏の旅はこうして終わりました。 

秋には「長崎の鐘を鳴奏会」をはじめ、数々の企画で長崎から平和を発信し続けている

「アジェンダNOVAながさき」の全面的ご協力を得て、コンサートをやります。

新宿ゴールデン街から始まった企画が、どんどん広がってきています。

皆様ぜひいらしてください。

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長崎2011年夏 その2 ~五島列島② [長崎]

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五島(列島)は大小約140もの島々からなり、約43,000人の人々が住んでいる。

(無人島もある)その各地に約50もの教会がある。

今回は久賀島と福江島しか行けなかったが、いずれ他の教会も訪ねてみたい。

五島の教会の歴史はまだ不勉強だが、大村藩であった外海(そとめ)のクリスチャンが

東洲斎写楽たちが活躍していた寛政時代(18世紀の初めころ)に五島に移住してきたこと

が五島の教会建築のそもそもの始まりのようだ。

もともと五島にも信者がいたのだが、秀吉の禁教令によって壊滅状態となってから

約200年後の話である。

あまりいい加減なことは言えないのでこのくらいにしておきますが、五島の教会の歴史を

調べだすと日本のキリスト教史までさかのぼらなければならない、さらにはなぜバチカンは

日本にキリスト教の布教を始めたのかという所までさらに遡らなければならないので、いずれまた、

と思っていましたが、関連する事例だけ羅列すると、、、(結局少し調べてみた。ネットですがすみません;)

 

時はルターの宗教改革にさかのぼる。16世紀に権威を失墜させたカトリックはアジアの布教

を通じて権威を取り戻そうとしていた。このような事情が日本に宣教師がやってくるようになった

下地ともいえる。

フランシスコ・ザビエルが種子島にやってきたのが1549年。時の権力者は織田信長。

彼はクリスチャンを庇護していたが、そののち権力を握った秀吉は表向き禁教令を発した。

しかし九州にはキリシタン大名も多く、反乱を恐れ南蛮貿易のこともあり半ば黙認。

しかしサン・フェリペ号事件をきっかけに秀吉はキリスト教への態度を硬化させ、京都で活動

していたフランシスコ会系の宣教師たちをとらえるように命じ、長崎で処刑した。

これが日本二十六聖人の殉教である。(1597年)

そして徳川の時代になり、はじめは無関心であった家康も、キリシタンがらみのある事件を

重く見てキリスト教を禁教とし、全国で迫害が行われるようになった。

これが17世紀の初めである。以後約250年間、日本のキリスト教徒は迫害される。

そして1637年の島原の乱に衝撃を受けた幕府は、1639年鎖国の令を発したのである。

これ以後キリシタンたちは地下に潜り、自由に信仰のできる日をひたすら待ち続けるのであった。

外海から五島にわたってきた信者たちも同じ思いであったろう。

ここから大浦天主堂が建ったときに信者たちがプチジャン神父を訪ねてきた1865年の「信徒発見」

明治になっても続いた弾圧「浦上四番崩れ」「五島崩れ」(久賀島の牢屋の窄の弾圧など)へと

つながっていく。

岩倉使節団が欧州視察を行った際に近代国家としてなんと野蛮な、と各国から非難を

浴びたため、ようやく明治政府はキリスト教禁止令をといたのであった。

1873年のことだった。

外圧に弱いのはずーっと昔からだったのですね。弾圧されるほうの人たちのことは誰も

考えられません。お上が決めたことなのですから逆らえないのです。

外海には「沈黙」を書いた遠藤周作の記念館があり、そこの文学碑には

「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」と記されています。

さて、五島の二日目は、朝からレンタカーを借りて福江島を巡りました。

まずは奥浦にある堂崎天主堂。

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そして楠原天主堂。

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水の浦教会。

五輪教会とともに今回一番ひかれた教会でした。

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そして夕陽で有名な三井楽にある三井楽教会。

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三井楽の近く、柏崎に空海の碑があるというので足をのばしました。

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柏崎灯台。

遣唐使最後の寄港地、三井楽で「辞本涯」=「日本の最果ての地を去る」という覚悟

を第16次遣唐使の一員であった空海は語り、東シナ海を渡って大陸を目指したのである。

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姫島。

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ここは日本の西の果てなのだ。

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さらに貝津教会を巡って、高浜を目指した。

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魚を扱う美女に由来する魚藍観音が海の安全を見守っている。

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32年ぶりにやってきた高浜海水浴場は、ほとんど変わっておらず美しい砂浜だった。

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五島うどんとおにぎりは海水浴の定番だ。

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駆け足で回りましたが、五島はいずれまたゆっくり来てみたいです。

八十八か所もあるようですし。

もちろん教会にもそれぞれの歴史があり、自然が豊かで、人も穏やか、魚もうまい。

是非一度行ってみてください。

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そしてまた長崎に戻りました。


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長崎2011年夏 その2 ~五島列島① [長崎]

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先日長崎に帰った時に、実弟と二人で五島列島に行ってきました。 

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長崎港ターミナル。

昔は福江までフェリーで4時間かかっていましたが、今はジェットフォイルで1時間半。

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東京から名古屋までの新幹線の時間とほぼ同じです。

五島へ行くのは32年ぶりでした。あの頃は学生で、仲間と高浜でキャンプをしました。

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久賀島(ひさかじま)に行く船の時間まで少しあったので少し散策。 

県立五島高校はお城の中にあります。

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五島の伝統芸能「チャンココ踊り」の石像。

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鬼太郎もいた。

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「あご(とびうお)」ののれん。

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五島の教会群は今世界文化遺産の登録を申請しています。

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福江島の隣の島「久賀島」まで船で20分。

久賀島ツアーとセットで往復3,500円のツアーがあったので申し込んだ。

(木口汽船)久賀島に行く方にはこれがおススメです。

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海の美しさにはしばし言葉を無くしました。

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浜脇教会が見えてきました。

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浜脇教会。

http://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/nagasakinokyoukai-web/kyoukai/hamawaki.html

ここに建っていた教会を移築したのが旧五輪教会。

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五島のクリスチャンの歴史についてはいずれまた書きますが、受難の連続でした。

それでもなお信仰を捨てなかった強さと、悲しみを教会群は秘めています。

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牢屋の窄(さく)殉教地。

http://www1.odn.ne.jp/tomas/rouyaanosako2.htm

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明治初期、キリシタンへの弾圧がまだ行われており、この地に建っていた小さな家の中に二百人

余りの老若男女が押し込められるという弾圧(拷問)を受けた。

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神を信じながら死んでいった子供たちもいる。

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蕨(わらび)集落。

ここはわが師匠が戦時中の幼き頃に疎開していたところ。

生前何度となく話を聞いており、ようやく行くことができた。

終戦間際になって、五島にも連合軍が攻めてくるという話があり、疎開の地から

長崎に戻ったその少年は8月9日に被爆した。

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久賀島はかつて4,000人がすんでいたが今は400人。

この五輪地区には二世帯四人の方しか住んでいない。

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ここは歌手の五輪真弓のお父さんの出身地だ。「ごりん」と読む。

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木造の教会で、浜脇教会のあったところから船で部材を運んでこの地に建てられた。

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この教会をいまだに四人の方々(二世帯の兄弟)が守っておられる。

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折紙峠(おりがみとうげ)。

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向こうは東シナ海。ここから中国大陸まで七〇〇キロ。

そのむかし遣唐使はこの海を渡って大陸へ向かって行った。

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久賀島はクルマエビの養殖などもやっていたが、人影も少なく静かな島だった。

季節になると椿の花があちらこちらで咲き誇る。

山々が赤く染まることを想像しながら、また船に乗って福江に戻った。

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宿の人に聞いた店で、おいしい魚、きびなご、さざえ、あらかぶの味噌汁をたらふく食べて

五島産の芋焼酎を飲んで夜は更けていきました。

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長崎2011年夏 その1 [長崎]

たくさんの用事もあり(言い訳?)、夏休みも兼ねて長崎に帰ってきました。

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大村湾。

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新地中華街。

今回は中華街入口のワシントンホテル1泊付きパックで名古屋~長崎往復

¥35,000円でした。安くて助かります。

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夏雲と眼鏡橋。

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金物屋。

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8月15日の精霊流しに向けて、町内の船造りも毎週行われる。

みんなボランティアだ。

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8月6日の長崎。

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「長崎の鐘を鳴奏(ならそう)会」

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グラウンドゼロ。

ここの上空500メートルでプルトニウム型原爆が炸裂し、70,000人以上の人々が殺された。

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「キッズゲルニカ」

ピカソのゲルニカの絵と同じサイズのキャンバスに世界各国の子供たちが平和を願って絵を描く。

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長崎の夜の街。

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銅座、思案橋界隈。

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唐組の舞台セットのようです。

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カウンターだけの「志乃多寿司」。母の好物はここのうにとアワビだった。

安くてむちゃくちゃんまいが、混んでて入れなかった。

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日本の居酒屋百店にも選ばれた「安樂子」

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くじらも魚も激安で超んまいっ。

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最近長崎駅前にOPENしたやきとり「次郎吉」

下は銅座の「魚市場」のごん鰺とヤリイカ生き造り。

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仕上げにカラオケスナックも一律歌い放題¥2,000円。

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 ↑ 五木のやまうに豆腐(豆腐の味噌漬け)ときゅうり。んまいっ!

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10月7日~9日の長崎くんちの稽古も佳境。これは大黒町の唐人船。

そして長崎の夜は更けていくのでありました。

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ずっと遊んでたってまた言われるんだろうな、、、、、、。

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つづく、、、、、、。


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父の選挙 [長崎]

そういうわけでしばらくご無沙汰しておりましたが、ようやく日常生活に復帰しました。 

そういうわけでなどと書きましたが、統一地方選挙に父が7度目の出馬をしたので、

応援のため故郷長崎に10日ほど帰っていたのです。

選挙の手伝いをするのは3度目ですが、まあ、この選挙制度というものはいつか

見直すべきですね。私たちが何とかできるかどうか分かりませんが、壮大な無駄

といいますか、エネルギーの浪費、そして、周囲を巻き込むことはなはだしい。

権力者が、候補者のエネルギーを奪うためにやっているのではないかと思うような

ことが多々あります。

そして、本当に市民(住民)のためになっている人が選ばれているのかというと、

はなはだ疑問です。

身びいきになってもいけませんが、とんでもない人が何人も立候補して、しかも当選する

人がいる。これは長崎だけのことなのか!?

いずれインターネットの導入などもあることでしょうし、良識ある選挙民が増えれば、

利益誘導だけの方々は淘汰されていくことと、、、、、、思いたい。

なにはともあれ、父は当選しました。

選挙のやり方は今後変わっていくことでしょうが、昔ながらのやり方で戦いました。

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出発式:出陣式ともいう。いざ出陣!でポスター番号が決まって、警察から道路使用許可の幟

腕章などもらったら選挙カーを運行できるので、そこから第一声を発する。

ポスターは長崎の場合、市内全域約1,000か所に掲示版があるのですべてを貼るのも

大変だ。

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これは「桃太郎」と言って、支援者のいる地域を回って挨拶する運動。幟を持った行列が猿、キジ、

犬を引き連れた「桃太郎」に似ていることからそう呼ばれる。

私は、昔長崎に実際にあったキャバレーの名前かと思っていた。

キャバレーに支持者が多いとはさすが親父、、、などと勘違いしていた。

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選挙カーにものべ3日乗りました。長崎市の市会議員選挙区は平成の大合併後の選挙区改正

で面積が1.9倍に広がりました。

全然行ったことのないところへも車を走らせました。

ちなみに、選挙カーに乗っている女性は「ウグイス嬢」、では男性は、、、、、、?

答えは「カラス」です。

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桃の節句は終わり、やがて端午の節句がやってくる。桜も散り、ハナミズキやつつじが咲く

頃となる。

電話や、個人演説会や、辻立ち、来客応対などで7日間の選挙期間はあっという間に過ぎていく。

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投票日は開票までは静かだ。私も床屋などに行って夜に備える。

そして、はらはらしながら開票結果を待つ。午後八時にならないと結果はわからないのだ。

「火事は最初の五分間。選挙は終わりの五分間」といわれるように、投票箱の蓋があくまで

結果はわからない。みんな一票ずつしかもっていないのだ。一票入れなかったら議席は

得られないのだ。

夜八時過ぎになると支持者が三々五々事務所に集まってくる。

事務所隣の市民会館が開票所だったので、待ち切れず開票状況をこの目で見に行く。

なかなか票が伸びずにやきもきしたが、明けて午前12時20分。もう大丈夫だとの確信を

持って事務所で当選の万歳。

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演説会では、被爆者団体の会長でもある父が反原発を熱く語りすぎて、時間をはるかに

オーバーしたりした。

それにつけても、ボランティアで毎日助けてくれた人たちには感謝の気持ちでいっぱいだ。

無償の行為は人の胸を打ちます。ありがとうございました。

戦いすんで日が暮れて。いよいよこれから4年間、父も最後のご奉公となるだろう。

長崎の未来を作るためにも、がんばって仕事をしてほしい。

そしてまず東北の復興にどんな貢献ができるかそれぞれがまた考えていかなければ

ならない。

そういう話をしながら、長崎を後にしました。

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長崎の最後の夜は、鯨の「おば(尾羽)」を酢味噌とゆず胡椒で頂きました。

ああ、うまかった。

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お疲れ様でした。

ありがとうございました。


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晩秋の町 [長崎]

みなさんと別れて、母の墓参りをすませ、近くの長崎県歴史博物館をのぞき、

それからてくてくと自宅まで歩いて帰った。 

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長崎は坂の町ですから自転車よりもバイクのほうが圧倒的に多い。

しかしここには一台も停めてありませんでした。

前にも書いたことがあるけれど、長崎には猫が多い。

Oさんは港町には猫が多いとおっしゃったが、魚があるからだろうか。

それだけではないような気もするが、まじめに研究したこともないので

よくわからない。

ただ長崎では、猫と人とが確実に共生している。

というか、猫は人のことをあまり気にしていない。

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カメラを向けてもそっぽを向く奴。

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目をしょぼしょぼして動かぬ奴。

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カメラに向かって突進してくる奴。

少し晴れてきました。

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そしてさっき名古屋に戻ってきました。


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ロケハン [長崎]

今回のナガサキ行きの目的は、Bar十月の「大人の修学旅行」第4弾&河村典子さん

ヴァイオリンひとり「バッハ無伴奏」コンサートの会場探しもあって、父の助けを借り、

長崎の街を和子さんと典子さんとOさんと一緒にあちこち見て回った。

まずは26聖人殉教地。

舟越保武作の彫刻。

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幼いころはここが私の遊び場だった。

そのあと原爆祈念館に行く。

いつ行っても怒りと悲しみがこみ上げる。

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そのあと中町教会へ。

私はこの近くで生まれたのだが、中に入るのは初めてだった。

野下神父様のご案内で中を見学。

そして河村さんに試しにヴァイオリンを弾いていただいた。

教会の中に響くヴァイオリンの音色はまた格別なものであった。

まだ時間があったので、もう一度原爆落下中心地(グラウンド・ゼロ)、平和公園へ戻る。

バッハと教会はいいものの、教会で演奏をするとすれば「祈り」の心がなければならない。

「祈り」とは何か。「祈り」とは、神に捧げるものだけでなく、行き過ぎた物質中心の現代社会

を生きる我々が、少し立ち止まって、何か、「平和」「愛」「隣人」etc.を考える行為ではないか

・・・・・・などなどキリシタンではない私はいろいろと考えた。

夜は長崎で協力して頂けるような方々と会食をした。

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河村さんは、ヴァイオリンを弾いて下さった。

やはり、本物の持つ力は圧倒的にすごい。そしてうまいとかプロとか言う前に、何かを表現

するために演奏をしているのだ。

そういうことを感じさせられた。

長崎の方々もきっとサポートしてくれる!そんな熱い手ごたえを感じた。

翌日も行脚は続く。

まず稲佐の外人墓地の横を通って、稲佐山に上って市内を一望しようとしたが、

曇っていてあまりよくは見えなかった。残念!

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次に玉園町にある黄檗宗のお寺「聖福寺」を訪ねた。

ここは坂本龍馬「いろは丸事件」で紀州藩との談判の場となったところ。

修復が必要で、現在募金運動中!ここでコンサートや芝居なども行われている。

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長崎県美術館を横目に眺め、松ヶ枝埠頭近くの旧香港上海銀行(重文)を見学。

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大浦天主堂も横目で見て、近くの妙行寺も見学。

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大忙しのロケハンだったが、歴史的・地理的に数奇な運命をたどったナガサキ

という街を再認識した。そして原爆まで落とされたのだ、ということも。

鎖国に洋館、カトリックに、中華街、オランダさんに長崎奉行、祭りに造船に・・・・・・

とても一日や二日では回りきれませんね。和華蘭(ワカラン)文化とはよく言ったものです。

そして、坂(サカ)・(祭り)バカ・墓(ハカ)の街でもあるそうです。

今回のロケハンは、長崎生まれでいながら、あまり長崎のことを知らなかった私が

ナガサキという街を再認識した旅となりました。

そして、人のつながりの摩訶不思議なこと。御縁という言葉が感じられた旅でもありました。

さあ、来年秋に実現するように、ガンバルゾ!

親父さん、Kさん、皆様ありがとうございました。


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長崎へ [長崎]

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夕方4時半過ぎの飛行機でセントレア空港から長崎へ。

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午後七時。

おでんの名店「はくしか」で腹ごしらえ。

作家の吉村昭さんがこよなく愛したお店だ。

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少し雨が降ってきた。


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2010年 故郷(ふるさと) [長崎]

私の生まれ故郷長崎に、この夏帰ってきました。 

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駅の構内は、福山龍馬の写真でうめつくされていました。

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昔の長崎駅舎は三角屋根で、こぢんまりとしていました。

赤ん坊の頃はここに、仕事が終わったブリキ職人の祖父にだっこされて「汽車」を見に

来ていた記憶があります。

だっこされていたのは弟で、私は手を引かれていたのかもしれません。

ただ、祖父の「のんのか、のんのか、のんのかよ~♪」と歌っていたのをはっきりと

憶えています。

「のんのか」というのは、長崎弁で「きれいだ」という意味ですが、夜蛍光灯だけのホームの

中に入ってくる終電車のライトのことか、駅から見える稲佐山や家々の光に彩られた夜景

のことだったのか・・・・・・。

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県営バスターミナルができたのは、私が小学校の低学年の時だったか(40年以上前)

オープン前に潜り込んで遊んだ記憶がある。

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1969年長崎国体の時に、皇太子殿下と美智子妃の乗った車がここを通られると言うことで、

沿道に並んでお出迎えしたこともあった。

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一歩中にはいると、かつてはにぎわっていた商店街。

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ここの路地を、近所の子供たちと一緒に走り回っていた。

かつてあった旅館や豆腐屋さん、自転車やさん、氷屋さん、鍛冶屋さんはもうすでにない。

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ここのおじさんやおばさん、お姉さんたちによくかわいがってもらっていた。

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上に見える二本の塔があるのは西坂の丘。

二十六聖人殉教の地。

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1945年8月9日、11時2分。

一発の原子爆弾によって、このあたりも焼け野原となった。

私の生まれる12年前のことだった。

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少し歩くと、中町教会がある。

ここはもと大村藩の蔵屋敷があった。大村藩主大村純忠はキリシタン大名であった。

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高い塔と外壁の一部を残して、原爆は町を焼き尽くした。

塔と壁はそのままに、中町教会は昭和26年に再建され現在に至っている。 

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蝉の音を聞きながら、祖先と母の眠る「観善寺」へ。 

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しばらく弱っていたが、大楠も復活したようだ。

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滝のように流れる汗を拭きながら、母の墓前に線香を上げる。

線香の火が消えるまで、しばし亡き母と語らう。

長い階段を下り、しばらく歩くと「小曽根邸」跡地を発見。

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おお、ここだったのか。

まさにいま大河ドラマで坂本龍馬や、近藤長次郎、沢村惣之丞、西郷吉之助が出入りしている

場所ではないか。

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この場所とは知らなかった。旧新興善小学校(現長崎市立図書館)の近く、法務局合同庁舎

があるところ。

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「長崎はわしの希望じゃ」といった龍馬たちが、この界隈を駆け回っていたかと思うと

ドラマや小説を越えて、胸に迫ってくる。足音が聞こえてくるようだった。

志士たちの時代が終わり、明治となり、大正、昭和・・・・・・戦争が始まり、そして原爆。

彼らが夢見た日本は、世界は、やがてこうなりました。

町は一瞬にして、消えました。

そしていま平成22年。

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少年たちは公園でキャッチボールをし、少女たちは木に捕まった蝉を捕まえようとしていた。

この子たちは、むかしの私たちそのものだ。

 

しかし、私たちは知らなかっただけだ。十数年前に終わったばかりの戦争の実相を。

 

長崎は原爆が落とされた町なのです。


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