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鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その3 [まちあるき]

 

長谷寺を出て参道の鎌倉オルゴール堂を見学。

http://www.otaru-orgel.co.jp/kamakura_ebook/index.html#page=1

昼食後せっかくなので久々に大仏様を拝みに行く。

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ここへ来たのはもう二十数年ぶりになるが、大仏様は変わらぬお姿でじっと座っておられた。

あれから随分いろんなことがあったなあ、などとしばし感慨に浸る。 

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与謝野晶子の歌碑。

「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」 

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鎌倉駅に戻り鳩サブレ、鎌倉カスターを購入。

再び北鎌倉へ。

七福神めぐりの最後は浄智寺にある布袋様だが、その前に円覚寺(えんがくじ)に寄る。

ここは鎌倉五山第二位の名刹で映画監督小津安二郎の墓がある。

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広々として静かでとても落ち着く。 

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小津監督のお墓。

ただ一文字「無」とだけ記されている。

合掌して「東京物語」「東京暮色」「晩春」「麦秋」「彼岸花」などの名作の数々を思い浮かべた。 

「お早よう」も面白かったね。 

円覚寺前の線路を渡って左に歩き、東慶寺をこえてしばらく行くと浄智寺がある。

このお寺は鎌倉五山の第四位。 

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季節になると様々な花が咲き乱れて、それは美しいことだろう。 

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布袋様。

これで鎌倉・江ノ島七福神めぐり完成!

と思ったのだったが、、、、、、。

私の本籍は長崎市大黒町なのに、肝心の大黒様を拝み忘れるとは。

まあ長谷寺にはいくことは行ったのだから良しとしよう。

久々の鎌倉は天気にも恵まれ、新鮮でした。

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鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その2 [まちあるき]

 

鎌倉から江ノ電に乗って江の島へ。

車窓から湘南の海が見えてきた。風が強く波が高い。 

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サザンの「勝手にシンドバッド」が頭の中を駆け巡る。

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結構人が出ていた。待ち遠しい春にじっとしていられないのか。

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江島神社の弁財天。中においでの琵琶を抱えた弁財天はふくよかでどこかエロチック。

 

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頂上のサムエル・コッキング苑の中の展望タワー江の島シーキャンドル。 

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シーキャンドルからは右手に逗子三浦半島、左手に茅ケ崎、大磯から小田原あたりまでが見える。

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その日から始まるバレンタイン用のライトアップの準備に追われていた。

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これが、今巷で話題の江の島の猫だったのか?首には何もついていない。

近づいてもほとんど動かず、じーっとしている。 

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参道入り口近くにある岩本楼。 

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海に面した宿の部屋からは富士山も見える。古いけれども落ち着く宿でした。

 

翌日は朝食後宿を出て、再び江ノ電に乗り長谷を目指した。 

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黒い粒粒はサーファーの群れ。

鎌倉高校前から稲村ケ崎あたりまで、何百人という波乗り人が海に浮かんでいた。

長谷駅で降りて御霊神社を目指す。駅からは歩いて五分ほど。

江ノ電の線路を横切ったところに神社はある。

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ここには福禄寿が祀ってある。 

これで昨日から六つ目、七福神のうち五か所を回ったことになる。静かな神社だった。

さらに長谷寺まで歩いていく。

長谷寺は節分の行事もあり、また近くに大仏さんもいらっしゃることから、近づくにつれ

だんだん人の数が増えてくる。

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海もよく見える。 

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実際この幕の横に大黒天があったのだが、隠されていて気付かなかった。

本堂の中の十一面観音や阿弥陀様を拝んでいるうちに大黒様のことなどすっかり忘れて、

下に降りると弁天堂の洞穴の案内があったものだから、ここにいらっしゃるのは弁天様

だと勘違いして、長谷寺を後にしたのだった。 

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弁天さまは鶴岡八幡の中、江ノ島そしてこちらと三か所も拝ませていただいた。

大黒様を忘れていたと気づいたのは、旅も終わって二日後のことだった。

つづく、、、、、、。 

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鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その1 [まちあるき]


 
新年の仕事もほぼひと区切りしたところで、そうだ、旅に出よう!と思い立ち
 
どこに行こうかと考えていたのですが、ちょうど東京での仕事も控えていたので
 
年の初めに縁起もよかろうと、鎌倉・江ノ島におわします七福神を巡ることにしました。
 
鎌倉・江ノ島七福神とは、
 
①布袋尊・・・浄智寺(北鎌倉)
②弁財天・・・旗上弁財天社(鶴岡八幡宮)、江島神社(江ノ島)
③毘沙門天・・・宝戒寺(雪ノ下)
④寿老人・・・妙隆寺(宝戒寺から小町大路を海のほうに下る)
⑤夷神・・・本覚寺(妙隆寺からさらに海の方へ下る)
⑥福禄寿・・・御霊神社(長谷) 
⑦大黒天・・・長谷寺(長谷) 
 
であるけれど弁財天が二か所あるので八か所を回る。
 
そのほかにも立ち寄りたいお寺があるので、一泊二日でのんびりと行くことにした。
 
はじめに北鎌倉の浄智寺(布袋尊)からお参りして、近くのお寺に寄りながら
 
鶴岡八幡宮まで歩こうと思って北鎌倉に降り立ちましたが、朝方雨上がるとの
 
天気予報をよそに強い雨風が行く手を遮ります。
 
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しばらく駅前の喫茶店で外を眺めながらコーヒーを飲んでいましたが、やみそうもないので
 
計画を変更して、まずは鎌倉に行くことにしました。
 
 
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小町通りで雨が弱くなるのを待ち、まずは鶴岡八幡宮にごあいさつ。
 
お隣の県立近代美術館では「実験工房展」開催中。 
 
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武満徹さんはわかりました。 
 
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もうすぐ咲きそう。 
 
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八幡様境内の源氏池にある「旗上弁財天社」
 
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八幡様を外に出て目の前の道を左に行くと「鎌倉シャツ」鎌倉本店があるので寄ってみる。 
 
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鎌倉シャツの社長が作るカレーを店内のカフェで食べることができる。
 
今春大阪に店舗ができるそうだ。名古屋にはまだない。 シャツ二枚とネクタイ
 
購入(勢いで予定外;) 
 
店を出てすぐ左の突き当りに、毘沙門天を祀る宝戒寺がある。 
 
 
 
 
 
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もう少ししたら梅が咲いていい香りがすることだろう、などと思って入り口で
 
100円払うとき係りの人が少しぞんざいで、せっかくの印象が悪くなった。 
 
「季節の贈り物」 高倉健、というお供えが仏前に置いてあったが、それも
 
これみよがしでいかがなものか、だいたい健さんはそんなこと喜ばないだろう
 
などと、余計なことを考える。いかんいかん、と気を取り直し次なるお寺へ。
 
 
宝戒寺をでて左の小町小路を五分ほど歩くと次なるお寺、妙隆寺。
 
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ここには寿老人が祀ってある。小さな寺で拝観料もなし。
 
後で知ったのだが、ここに新劇の団十郎と言われ広島の原爆で亡くなった丸山定夫の
 
記念碑があるそうだ。痛恨の準備不足。改めて合掌。 
 
 
妙隆寺を出て右、海の方へさらに五分ほど歩くと本覚寺がある。 
 
日蓮宗のお寺で、この辺りは日蓮が辻説法を行った場所らしい。
 
その境内にえびす堂があり夷天が祀られている。 ここも拝観料はいらなかった。
 
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本覚寺から鎌倉駅へ。
 
ようやく晴れてきた。結構人も出ている。
 
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ここまでで七福神のうち四つを巡ったことになる。
 
そして鎌倉から江ノ電に乗って江の島へと向かった。
 
つづく、、、。 
 
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本覚寺境内の「しあわせ地蔵」
 
みんな幸せになりますように。 
 
 
 
 
 
 

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節分 [季節]

 

節分というのはそもそも各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日だそうですが、

江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになったらしい。

年によっては2月3日とは限らないそうです。

以下ウィキペディアより

節分の日付は現在は毎年2月3日であるが、これは1985年から2024年ごろ

までに限ったことであり、常にそうではない。

1984年までは、4年に1度の閏年2月4日だった。2025年から(2021年から

になる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。

(中略)

節分は立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。

このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年に

よって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。

なお厳密には、基準とする標準時によっても節分の日付は異なるが、

日本以外では節分を祝う風習がないので、旧正月のように国による

日付の違いが話題となることは少ない。 

 

だそうです。

知らなかった、、、。そんなに昔ではないのに節分で2月4日の日があったなんて全然覚えていません。 

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梅が咲いてきました。

梅は春の到来が近いことを教えてくれるのですね。

(写真は鎌倉長谷寺(2月3日) 

 


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あらためまして [雑文]

今日1月11日は鏡開き。

鏡開きとは、お正月に神仏にお供えした鏡餅を下げて、神仏に感謝し無病息災など

を祈って、お汁粉や雑煮などで食べる日本の年中行事、とある。

ある事務所の鏡餅が、正月が終わって用が無くなった、とばかりに事務員に捨てられた

との話を聞き、ヤレヤレと思いながらあらためて調べてみたのである。

まったく罰当たりな世の中になってしまった。 

最近はお正月らしさが少なくなり、いつの間にかまた普段の忙しさの中に紛れようと

している。

今年は節目節目に日本の文化を見直していきたいと思います。 

 

新しき(あらたしき) 年の始めの 初春の(はつはるの) 

今日降る雪の いや重け吉事(いやしけよごと)

 

『新しい年の始めの、初春の今日降る雪のように、良いことが積み重なりますように。』

4,500以上の歌を集めた万葉集最後の歌、大伴家持。

 

どんな年になるかわかりませんが、気持ちも新たにスタートしたいと思います。 


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手紙 極私的な [雑文]


今日で三が日も終わり明日は仕事始め。
 
正月は東京で過ごしました。
 
今は新幹線で名古屋に向かっている最中です。
 
東京には小さなアトリエを借りていて、そこには
 
本や過去の資料、CD、LP!、写真、置物、食器
 
など実に様々なものを段ボールにいれておいてあったのですが、
 
年末年始でようやく少しは椅子に座ってお茶でものみながら本でも
 
読めるようにあらかた整理しました。(つもり)
 
まあ気持ちが良かった。
 
その様々なものの中に一つの箱があった。
 
その箱の中には私が三十七年前上京してからとってあった手紙が
 
束になって入っていた。
 
箱があるのはわかっていたが、中野沼袋、武蔵野市中町、新宿富久町、初台、
 
荻窪、東池袋、江戸川瑞江と度々引越しをしたために、その箱に手紙をいれたまま
 
点々としていたのだ。
 
改めて箱を開いて手紙の差出人やハガキなどを読んで見た。
 
友人や先輩や肉親たちの手紙が数多く入っていた。
 
その中で両親の手紙を幾つか取り出して読んでみたが、心配のかけどおしだった
 
のが改めてよくわかる。
 
体のこと、学校のこと、お金のこと、進路のこと、、、文面には私の生活のいろんなことを
 
心配して書いてある。
 
この年になって改めて申し訳なく思ったり、感謝したり。お恥ずかしい限りです。
 
この手紙たちは、肉筆だからこそ今も私に語りかけてくれているよう思えた。
 
読みながら笑ったり、涙したり、あの頃の自分に戻って、
 
うん、うん、わかった。ちゃんとするけん。
 
今はもういない母や亡き友人の手紙に答えた。
 
手紙は別の箱に入れ替えて今住んでいる名古屋に送った。時間を見つけて整理しようと思う。
 
日付をみるとその手紙やハガキも年賀状を除けば、十数年前から無くなって来ている。
 
携帯電話やメールのやり取りで手紙を書かなくなったからだろう。
 
私はできる限り肉筆で手紙(ハガキ)を書き続けようと思っている。
 
、、、という文章を新幹線の中でiPadを使って書いている!!

たくさんのハガキの中から、2001年11月14日に亡くなった我が師匠に頂いたものが
 
出てきたので、紹介します。以下。

御葉書落手
十六日、観せていただきます。(注;私の公演案内に対する返事)

世紀末に対する十九世紀と今日の認識の違いは、余りにも今日は、楽天的。
 
来世紀は星一つもらってアメリカの一州を目ざしているのでしょうか。
 
安全神話は、新幹線、経済、被爆(原子力)、犯罪、教育、すべてにおいてくずれ去りました。
 
エゴだけ、ウソをつく、効率主義、リストラ、地方崩壊、キレル、文化低レヴェル、介護、老人、
 
家族崩壊、最悪、エトセトラ、エトセトラ、、、

1999年10月の葉書です。

さて十四年後の今年はどんな年でしょうか。

流されまいぞ!
 
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ヨイトマケの歌 [雑文]

明けましておめでとうございます。

年末年始は東京で過ごしておりますが、昨日の元旦は

晴天に恵まれ、穏やかな年の初めを迎えることが出来ました。

大晦日は紅白歌合戦を見ていましたが、どうしてもセットや衣裳や

照明や音響や転換、舞台構成などの裏の方に興味が行ってしまい、

予算はどのくらいだ、大河ドラマと紅白とNHKスペシャルで

年間予算のどのくらいの部分を使ってるんだろうか、などと下世話なことを

思いながら見ていると、美輪明宏の番がきました。

舞台が暗くなったまましばらく静寂があった後に、美輪さんの声が

地の底から聞こえてきます。

「とおちゃんのためえーなーらエーンヤコーラ、、、かあちゃんのためえーなーら

エーンヤコーラ、、、」

ご存知「ヨイトマケの歌」のイントロです。

我々還暦近くの世代の子ども時代は高度成長期で、ランニングに半ズボンで

町や村の山や川を走り回っていた。

子供だったからよくわからなかったが、親たちはそんな子供達に腹一杯

ご飯を食べさせるために、必死で働いていたのだと思う。

戦争が終わって、働き手をなくしたたくさんの未亡人たちはそれよりも

大変な苦労をされていたと思う。

自分の親戚のあのおばさん、近所のあのおばさんも知らなかったが、きっと

そうだったのだろうと思う。

そして苦労ばかりでしんで行ったそんな数多くの女性、母たちに捧げる歌が

美輪明宏のこの歌だ。

いろいろ思い出して涙が出た。

世の中が豊かになっても、変わったと言っても、忘れちゃあいけないことが

たくさんあります。

今年もよろしくお願いします。

「ヨイトマケの歌」2012年紅白歌合戦
 
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行く年来る年 [雑文]

今年もあとわずか。

個人的には夏までの半年間にいろんな出来事があり、

忙しい年でした。

後半の半年間は、暑い暑いと言っているうちに秋が

一瞬のうちに過ぎ去り、十一月になってクリスマスソング

が聞こえたと思ったらもう大晦日でした。

世の中は騒々しく、自分も忙しさにかまけあちこち

駆けずり回っていただけのような、そして大切なものが

どんどんなくなって行くような、そんな年でした。

今年の一字は自分にとっては「金」ではなく「悼」でした。

世の中の流れとずれようが我が道を行きたいものです。

来年はもう一度原点に戻り、新しい人生のスタートの年と

位置づけたいと思います。

そして少数でもまっとうに生きている人たちの仲間として

惜しみなく力を注ぎたいと思います。

ブログもまたまめに復活させます。

皆様今年もお世話になりました。

来年もよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。





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今日から師走 [雑文]

お久しぶりです。
 
時の経つのはなんと早いのだろうか。
 
年々1年が過ぎていくスピードが増している気がする。
 
ブログの更新が滞っていたら勝手に広告が貼り付けられているし。
 
油断ならない世の中です。
 
とはいえ年明けまでまだ1ヶ月。
 
選挙もあるのだが、政党たくさんありすぎて、ごった煮、煮込み状態。 
 
せわしなさに惑わされず、過ぎ去ろうとする1年を振り返り、新しき年の
 
展望を思案したいところです。願わくば。
 
皆様お体大切に。風など召しませぬよう。 
 
 
 

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追悼 若松孝二監督 [追悼]


若松監督が亡くなった。
 
12日交通事故に遭われたことを知り、快方に向かってばかりいると思っていたので
 
大変驚き、残念な気持ちでいっぱいです。 
 
監督は私が30年近く通い続けたバーで時々お目にかかっていた。
 
いつも豪快で、明るく、時には激しく映画のことなども語っておられた。
 
はじめてお目にかかったのはもう20年以上前のその店。ふらりと店に入ってこられた客が
 
若松監督と聞かされて、「水のないプール」「キスより簡単」「寝取られ宗介」を見たばかり
 
だった私は遠くから羨望の眼差しで見ていた。
 
それから時々お会いするようになっても、怖くて近づけなかったが、何度かお会い
 
するたびに、監督の話に聞き耳を立てながら、だんだんじりじりとそばに近寄っていった。
 
私が何をしているのかを、知っているのか知らないのか、「最近は儲かってるの?」
 
と必ずやさしく聞いてくれた。
 
「われに撃つ用意あり」にはゴールデン街や新宿の街がたくさん出てきた。
 
新宿が好きだったと思う。
 
「連合赤軍」を撮る前は、「 突入せよ!」を、あんな権力側の映画なんて最低だ!
 
と猛烈に批判していた。そして、おれが連合赤軍を撮る!とおっしゃっていたのを横で
 
聞いていて拍手した。そしてそれはすぐに実現した。
 
資金を調達し、ロケでは自分ですいとんを作り、若い役者さんたちに食べさせたと聞く。
 
そして浅間山荘に見立てた自分の山荘を、撮影で全部ぶっ壊した。
 
さすがに少し寂しそうにしていたと、あとから聞いた。 
 
「17歳の風景」「連合赤軍」「キャタピラー」「三島由紀夫」「海燕ブルー」、、、、、、
 
真っ直ぐな若者たちの心情、そして悲劇を描いて見事だった。
 
訳知りのインテリたちを現場の力でぶっ飛ばし、純粋な若者たちに寄り添っていたように思う。
 
中上健次の「千年の愉楽」ができたばかりだというのに。
 
肺がんや脳血栓やたくさんの病気にもかかわらず元気に映画を撮っておられたので、不死身
 
だと思っていた。
 
名古屋で「キャタピラー」の試写会があったときに、楽屋に挨拶に行ったら「来てくれたの!」
 
とごつい肉厚の手で私の手を握りしめてくれた。 
 
名古屋駅前には監督の作った「シネマスコーレ」という小さな映画館が今も頑張って、メジャーで
 
ない映画をたくさん上映している。監督命名の 「スコーレ」は学校という意味だ。
 
権力が嫌いで、映画が好きで、信念があって豪快で、明るく、偉ぶらず、決して言い訳もせず、
 
シャイで、喧嘩が強く、優しかった監督。かっこよかったです。
 
ありがとうございました。お疲れ様でした。さようなら。
 
合掌。 
 
 
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2010年3月「らいら」30周年を祝う会でスピーチする若松監督。
 
場所:新宿・浪曼坊 撮影:植嶋政義 
 
若松孝二公式ブログ

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